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和田三造(わださんぞう)

画家、版画家[日本]

1967年 8月22日 死去嚥下性肺炎享年84歳

和田三造 - ウィキペディアより引用

和田 三造(わだ さんぞう、1883年(明治16年)3月3日 - 1967年(昭和42年)8月22日)は、明治・大正・昭和期の日本の洋画家、版画家。
帝国美術院会員。
1953年(昭和28年)、大映映画『地獄門』で、色彩デザイン及び衣裳デザインを担当し、この作品で、1954年(昭和29年)の第27回アカデミー賞で衣裳デザイン賞を受賞。
玄洋社社員。
経歴= 旧朽木藩の御典医であり、その後生野銀山鉱業所の勤務医や校医を勤めた和田文碩と秀の四男として、兵庫県朝来郡生野町(現・朝来市)に生まれる。
兄・宗英が大牟田市の鉱山業に従事したため、1896年(明治29年)、13歳の時に一家をあげて福岡市に転居する。
大名尋常小学校を経て、翌1897年(明治30年)、福岡県立尋常中学修猷館に進学するが、1899年(明治32年)、画家を志し、父や教師の反対を押し切って修猷館を中退して上京、長尾建吉の斡旋で黒田清輝邸の住み込み書生となり、白馬会洋画研究所に入所して黒田清輝に師事する。
1901年(明治34年)、東京美術学校(現・東京芸術大学)西洋画科選科に入学。
青木繁、熊谷守一、児島虎次郎、山下新太郎らと同期であった。
1902年(明治35年)、八丈島への渡航途上、暴風雨に遭い漂流ののち伊豆大島へ漂着しており、これが後の『南風』制作の契機となった。
『南風』(1907年) 1904年(明治37年)7月、東京美術学校を卒業し、1905年(明治38年)、白馬会10周年記念展で『牧場の晩帰』、『伊豆大島風景』を ……

和田三造が亡くなってから、57年と92日が経過しました。(20911日)