脇坂安斐(わきさかやすあや)
播磨龍野藩主、子爵[日本]
1908年 2月27日 死去享年70歳
脇坂 安斐(わきさか やすあや)は、江戸時代後期の大名。
播磨国龍野藩10代(最後)の藩主。
龍野藩脇坂家12代。
維新後知藩事・子爵。
生涯=
天保10年(1839年)11月27日、伊勢国津藩11代藩主・藤堂高猷の四男として誕生した。
龍野藩9代藩主・脇坂安宅の実子の寿之助(後の安煕)が幼少のため、安政5年(1858年)6月に安宅の養子となり、文久2年(1862年)4月22日の安宅の隠居に伴い家督を継いだ。
脇坂家は譜代大名であったため、安斐は佐幕派として摂津国の海防警備を務め、元治元年(1864年)の第一次長州征討、慶応2年(1866年)の第二次長州征討にも幕府軍の一員として参加したが、長州征伐には消極的だったとされ、第2次長州征伐では安斐の病気を理由に出兵を辞退している。
慶応4年(1868年)の戊辰戦争では新政府軍に恭順して、新政府に抵抗した姫路藩の攻撃や会津戦争に参加した。
明治2年(1869年)6月、版籍奉還により龍野藩知事に任じられ、その後は藩の職制改革などに努めたが、明治4年(1871年)7月の廃藩置県で知藩事を免職された。
明治17年(1884年)、華族令により子爵に叙された。
明治41年(1908年)2月27日に死去した。
享年70。
安斐の墓(小宅寺)
日本の爵位
先代叙爵
子爵(龍野)脇坂家初代1884年 - 1908年
次代脇坂安煕(脇坂寿)
表話編歴脇坂家龍野藩10代藩主 (1862年 - 1871年)本多家
本多政朝1617-1627
宗家の嫡子となり、播磨姫路新田藩主になる
小笠原家
小笠原 ……
脇坂安斐が亡くなってから、116年と268日が経過しました。(42637日)