結城哀草果(ゆうきあいそうか)
歌人、随筆家[日本]
1974年 6月29日 死去享年80歳
結城 哀草果(ゆうき あいそうか、1893年10月13日 - 1974年6月29日)は、歌人、随筆家。
概要=
山形県山形市菅沢出身。
旧姓は黒沼。
本名は光三郎(みつさぶろう)。
結城家の養子となる。
農業に従事。
1914年(大正3年)、歌誌『アララギ』に入会し、斎藤茂吉に師事。
1926年、選者となる。
1955年歌誌『赤光』を創刊。
東北の農村生活を歌い、また随筆にしたためた。
生涯を山形市菅沢にて暮らし、山形を代表する文化人として地元メディアへの登場も多かった。
山形市出身の文芸評論家・池上冬樹は、『文學界』の特集「随筆を読む」にて、優れた随筆として哀草果の小篇を紹介している。
1960年、河北文化賞受賞。
1966年、紫綬褒章受章。
1969年、勲四等旭日小綬章受章。
1971年、山形市名誉市民。
1972年、『金日成首相の誕生六十周年を祝う――万寿無疆』(朝鮮画報社)を編集。
1974年、勲三等瑞宝章受章。
同年6月29日、老衰のため山形市の自宅「樹蔭山房」で死去。
戒名は峭峻院達翁道淳居士。
息子の結城晋作(1926年 - 2013年)も山形県歌人クラブ名誉会長などを務めた歌人。
歌誌『赤光』を継承し、『山麓』と改称した。
著書=
『山麓』 歌集 岩波書店 1929年 (アララギ叢書)
文庫版 短歌新聞社〈短歌新聞社文庫〉 1996年11月
『村里生活記』 岩波書店 1935年
『山麓以外』 歌集 市村利兵衛 1935年
『小風土記』 岩波書店 1940年
『農民道場』 中央公論社 1943年
『農村歳 ……
結城哀草果が亡くなってから、50年と145日が経過しました。(18408日)