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内藤丈草(ないとうじょうそう)

俳人[日本]

(蕉門十哲、元禄17年2月24日没)

1704年 3月29日 死去享年43歳

内藤丈草 - ウィキペディアより引用

内藤 丈草(ないとう じょうそう、寛文2年(1662年) - 元禄17年2月24日(1704年3月29日))は現在の愛知県犬山市出身の江戸時代前・中期の俳人。
名は本常(もとつね)。
通称は林右衛門、号を丈草、別号を仏幻庵など。
松尾芭蕉の門人となり、蕉門十哲の一人となった。
経歴= 尾張藩犬山領主成瀬家家臣・内藤源左衛門の長子として生まれる。
丈草の父源左衛門は、実姉の松寿院が成瀬正虎の愛妾だった縁で、成瀬家に仕官が許された。
丈草は14歳で寺尾直竜に出仕する。
寺尾直竜は俳諧を嗜み、不木と号した俳人であった。
18歳の頃、名古屋に遊学し、穂積元庵に漢学を学んだとされる。
貞享5年(1688年)8月、27歳にして遁世。
遁世後、玉堂和尚ゆかりの寺院で過ごし、奥の細道の旅から帰った松尾芭蕉に出逢う。
やがて、『猿蓑』の跋を執筆するほどの信頼を得て、元禄6年(1693年)無名庵に入るが、翌年、芭蕉が亡くなる。
喪が明けると、芭蕉の眠る義仲寺のほとりに仏幻庵を結び、大行脚や経塚建立を果たした。
元禄17年(1704年)2月14日、43歳没。
俳風= 堀切実は、自然観照に基づく叙景句、自らの心情を反映させた境涯句、鋭い観察眼と洒脱な心境によるユーモラスな句の3つの傾向があると指摘する。
代表句 連れのあるところへ掃くぞきりぎりす  (『そこの花』) 淋しさの底ぬけてみるみぞれかな  (『篇突』) 鷹の目の枯野にすわるあらしかな  (『菊の香』) 郭 ……

内藤丈草が亡くなってから、320年と235日が経過しました。(117115日)

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