楢崎弥之助 氏(ならざきやのすけ)
政治家[日本]
2012年 2月29日 死去享年91歳
楢崎 弥之助(ならざき やのすけ、1920年〈大正9年〉4月11日 - 2012年〈平成24年〉2月29日)は、日本の政治家。
本名は、楢崎 弥之祐(読みは同じ)。
衆議院議員(11期)、社会民主連合書記長、同党副代表を歴任した。
位階は従三位。
衆議院議員を務めた楢崎欣弥は長男。
ロッキード事件やリクルート事件など数々の疑惑を暴いたため「国会の爆弾男」との異名を持ち、政治スキャンダル追及の中心的役割を担う存在であった。
身長161センチ。
来歴・人物=
福岡県に生まれる。
祖先は戦国時代に糸島半島の高祖城に関係した武士であったと伝えられ、江戸時代になってから博多に移り、呉服商「紙弥」として成功した。
福岡県中学修猷館時代は水泳部で活動し、1936年には日米対抗水上競技大会に出場、4位入賞。
水泳に熱中しすぎて第五高等学校の受験に失敗し、翌1939年に旧制福岡高等学校と早稲田大学理工学部、東亜同文書院に合格、福岡高等学校文科甲類に進む。
みずからは被差別部落出身ではなかったが、姉の嫁ぎ先が松本治一郎の隣家だったことから、旧制高校時代に当時52歳の松本治一郎を訪問。
やがて松本宅への訪問を繰り返すうちに治一郎の姪の長女と恋仲になり、旧制高校卒業の年、1942年に結婚する。
1942年、東京帝国大学農学部を受験するも、口頭試問で東畑精一から「福岡には九大があるのに、何で東大を受けに来たの」と質問されて逆上し、「東大は東京のもんしか受けた ……
「国会の爆弾男」としてロッキード事件やリクルート事件などの疑惑追及で知られた元衆院議員の楢崎弥之助(ならざき・やのすけ)氏が29日、死去した。91歳だった。福岡市内の自宅で倒れているのを家族が見つけたが、既に死亡していたという。
楢崎弥之助さんが亡くなってから、12年と266日が経ちました。(4649日)