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重松逸造 氏(しげまついつぞう)

医学者[日本]

(元放射線影響研究所理事長)

2012年 2月6日 死去肺炎享年96歳

重松逸造 - ウィキペディアより引用

重松 逸造(しげまつ いつぞう、1917年11月25日 - 2012年2月6日)は、日本の医学者。
ラバウルで海軍軍医として終戦を迎える。
都築正男の後継としてABCCの日本側代表、国立公衆衛生院疫学部長、財団法人放射線影響研究所理事長、ICRP委員、厚生省研究班班長などを歴任したのをはじめ、疫学・公衆衛生学・放射線影響学において重要な役割を果たした。
叙勲された。
経歴= 大阪府生まれ。
1941年12月 東京帝国大学医学部医学科卒業 1952年3月 医学博士 1955年6月 ハーバード大学公衆衛生大学院修了(Master of Public Health) 1942年1月 東京帝国大学医学部付属病院第3内科副手 1947年8月 公衆衛生院疫学部研究員、慢性伝染病室長 1962年1月 金沢大学医学部教授(公衆衛生学) 1966年4月 国立公衆衛生院疫学部長 1981年7月 - 1997年 財団法人放射線影響研究所理事長 1992年4月 ロンドンの王立医科大学研究員 Fellow,Royal College of Physicians,London 1997年7月 財団法人放射線影響研究所名誉顧問 2002年6月 王立医科大学公衆衛生学教室名誉研究員 Honorary Fellow,Faculty of Public Health,Royal Colleges of Physicians,UK 2012年2月6日 誤嚥性肺炎のため死去。
94歳没。
役職・業績= 元日本公衆衛生学会理事長 日本疫学会・国際疫学学会、日本衛生学会、公衆衛生学会、結核病学会、脳卒中学会、放射線影響学会等の名誉会員 イタイイタイ病やスモンなどの疫学的研究、原爆被爆者追跡調査などを指導した。
成人T細胞白血病(ATL)の原因ウイルスの母子感染について ……

原爆被爆者への放射線の影響を調査する日米共同機関「放射線影響研究所」(広島、長崎両市)の理事長を長く務めた重松逸造(しげまつ・いつぞう)氏が6日に肺炎のため、東京都内の病院で死去したことが16日、分かった。94歳だった。大阪府出身。葬儀は近親者で済ませた。喪主は妻芳枝(よしえ)さん。 専門は疫学と公衆衛生学。金沢大医学部教授、国立公衆衛生院疫学部長などを務めた後、1981年から97年まで放射線影響研究所の理事長を務めた。 

重松逸造さんが亡くなってから、12年と289日が経ちました。(4672日)

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