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石元泰博 氏(いしもとやすひろ)

写真家[日本]

2012年 2月6日 死去肺炎享年92歳

石元泰博 - ウィキペディアより引用

石元 泰博(いしもと やすひろ、1921年6月14日 - 2012年2月6日)は、日本の写真家。
人物= アメリカ合衆国サンフランシスコ生まれ。
3歳のときに、両親の故郷である高知県高岡町(現・土佐市)に移り住む。
1939年、高知県立農業学校(現・高知県立高知農業高等学校)を卒業後に再渡米し、カリフォルニア大学農業スクールで農業を学ぶ。
第二次世界大戦中の1942年から1944年まで、日系人の強制収容によりコロラド州南東部のアマチ収容所に収容され、この期間に写真に興味を持つようになる。
1944年、沿岸の州への居住禁止を条件に解放され、シカゴに移住する。
ノースウェスタン大学建築科から転じて、シカゴ・インスティテュート・オブ・デザインで写真を学び、1952年に卒業。
在学中にモホリ・ナギ賞を2回受賞している。
1953年に再来日。
ニューヨーク近代美術館建築部長のアーサー・ドレクスラー、建築家の吉村順三らとともに日本の伝統建築を調査し、1954年には1ヶ月にわたって桂離宮の撮影を行う。
1955年、桑沢デザイン研究所講師。
1957年、「日本のかたち」「桂離宮」で第1回日本写真批評家協会作家賞を受賞。
1966年、東京造形大学教授。
1969年、日本国籍を取得。
1978年、「伝真言院両界曼荼羅」で芸術選奨文部大臣賞、日本写真協会年度賞、世界書籍展の「世界で最も美しい本」金賞を受賞。
1993年、勲四等旭日小綬章受章。
1996年、文化功労者。
日本的情緒を排除した作 ……

石元 泰博氏(いしもと・やすひろ=写真家)6日午後0時13分、肺炎のため東京都港区の病院で死去、90歳。米サンフランシスコ出身。葬儀は13日午前10時から同区西五反田5の32の20の桐ケ谷斎場で。喪主はおいの喬(たかし)氏。 日系移民2世として米ロサンゼルスで生まれ、3歳の時に両親の故郷の高知県土佐市に戻る。県立農業学校を卒業後、39年に再び渡米。太平洋戦争開戦後、日系人収容所に収容された。戦後、シカゴで本格的に写真を学ぶ。53年に帰国、モダニズム写真の先駆者として戦後の写真界に大きな影響を与えた。 代表作に写真集「シカゴ、シカゴ」、丹下健三氏との共著「桂−日本建築における伝統と創造」など。83年紫綬褒章、96年に文化功労者。 

石元泰博さんが亡くなってから、12年と289日が経ちました。(4672日)

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