一龍斎貞山 氏(いちりゅうさいていざん)
講談師・八代目[日本]
2021年 5月26日 死去心不全享年75歳
一龍斎 貞山(いちりゅうさい ていざん)は、講釈師の名跡。
三代目一龍斎貞山 - 後∶初代錦城斎一山
五代目一龍斎貞山 - 後∶三代目錦城斎典山
初代=
本名や生年は不明。
浅草龍宝寺と早稲田宝泉寺の2ヶ所に墓所があり、没年を前者は安政2年9月2日(1855年10月12日)、後者は安政5年8月5日とする。
『武功年表』の記述から、後者の信憑性が高い。
初代錦城斎典山の門下。
関根黙庵『講談今昔譚』では、隻眼だったために同じ隻眼の伊達政宗の法名の「瑞巌寺殿貞山禅利大居士」に因んで貞山と号したと伝わる。
得意演目は「伊達評定」。
2代目=
本名や生年は不明。
関根黙庵『講談今昔譚』では、本名は杉江某、御家人の出自だとされる。
天保10年(1839年) - 明治7年(1874年)3月14日。
36歳で死去した。
初代貞山の門下で、初代双龍斎貞鏡、初代真龍斎貞水を経て、2代目一龍斎貞山を襲名した。
矢ノ倉に住んだため、「矢ノ倉の貞山」と呼ばれた。
世話物を得意とした。
1858年に「岩見重太郎実記」を上梓。
4代目=
本名:杉江勝太郎、安政元年(1854年) - 明治23年(1890年)5月19日。
享年37。
父は地方廻りの講釈師一龍斎貞昇。
3代目一龍斎貞山に入門し、初代一龍斎貞花から初代昇龍斎貞丈を経て、1885年、3代目一龍斎貞山が初代錦城斎一山と改名したのに伴い、4代目一龍斎貞山を襲名するが、間もなく胸腔内動脈瘤で死去した。
6代目=
六代目
一龍斎貞山さんが亡くなってから、3年と195日が経ちました。(1291日)