ゲルハルト・ボッセ 氏Gerhard Bosse
指揮者、バイオリン奏者[ドイツ]
2012年 2月1日 死去大腸がん享年91歳
ゲルハルト・ボッセ(Gerhard Bosse, 1922年1月23日 - 2012年2月1日)は、ドイツの指揮者、ヴァイオリニスト。
日本では、聴衆に馴染みの薄い前古典派や古典派の管弦楽作品の魅力を紹介し、若い才能を発掘するなどの功績を残した。
日本では、ボッセの名前に関する片仮名表記は一般的に「ゲルハルト」が用いられているが、ドイツ語での本来の発音は「ゲアハルト」の方が近い。
略歴=
幼少期=
1922年、ライプツィヒの東に位置するヴルツェン(ドイツ語: Wurzen)に生まれる。
ボッセの母は骨盤の幅が狭く難産の傾向があった事から、ボッセが産まれる前に一男一女を亡くしていた事もあり、ボッセを出産する際には、大事を取って当時はまだ新しい医療技術であった帝王切開で行われた。
父は、ボッセが誕生した喜びのあまり、1922年1月24日付のヴルツェン新聞の告知欄に「力強い嫡男の誕生を、感謝に溢れる喜びの中、告知する次第です」と掲載した程であった。
その後、年子の弟も帝王切開で産まれ、ごく幼い頃のボッセは体型も似通っていたため双子と間違われる事も多かった。
1924年、グライツへ転居。
2歳から音楽大学入学までグライツで家族と暮らし、その後も演奏会の折や両親の家を訪ねる度にグライツへ帰っていたため、ボッセ自身はグライツ出身と感じていた。
1928年、父よりヴァイオリンの手ほどきを受ける。
最初の2人の子を難産で亡くし、やっと元気で生れてきたボッセを母は可愛がっ ……
ドイツ生まれの指揮者、バイオリニストで神戸市室内合奏団音楽監督のゲルハルト・ボッセさんが1日午前3時18分、大腸がんのため大阪府高槻市の自宅で死去した。90歳だった。家族葬を行い、後日お別れの会を開く。喪主は妻美智子(みちこ)さん。 1955〜87年までゲバントハウス管弦楽団第1コンサートマスター。その後、ゲバントハウス・バッハ管弦楽団を創立し、ソリスト兼指揮者として活躍した。日本とも縁が深く、霧島国際音楽祭音楽監督、東京芸大客員教授、新日本フィルハーモニー交響楽団首席客員指揮者などを務めた。
ゲルハルト・ボッセさんが亡くなってから、12年と294日が経ちました。(4677日)