佐川幸義 氏(さがわゆきよし)
武術家[日本]
(大東流合気武術第36代宗家)
1998年 3月24日 死去享年97歳
佐川 幸義(さがわ ゆきよし、1902年(明治35年)7月3日 - 1998年(平成10年)3月24日)は、日本の武術家。
大東流合気柔術・中興の祖といわれる武田惣角の直弟子のひとり。
概要=
昭和29年1月に武田惣角の長男・宗清と三男・時宗の推薦により大東流合気武術第36代宗家となる。
合気道の植芝盛平は、佐川幸義の大東流・宗家継承を喜んで「佐川様は申し分なき適任者」と佐川の宗家継承を祝福する書面を武田時宗に送った。
その書面受け取りを佐川に知らせる「御貴殿宗家継承の儀に就き」という武田時宗の自筆の葉書が存在する。
宗家になった半年後には東京体育館で行われた日本総合武道大会で、真剣で鎖鎌と試合をした。
昭和30年には東京都小平市の自宅に大東流本部道場(佐川道場)を開いた。
宗家になって2年後の昭和31年1月に武田時宗と念書を交わして、家督としての宗家を武田家に返上して、合気を継ぐ者という意味で宗範となる。
正伝大東流合気武術宗範。
大東流合気武術佐川道場主宰。
昭和11年頃には武田惣角と二人で各地を指導して廻り、受講者は武田と佐川の両方の英名録に記帳した。
武田惣角の門人で武田と共に各地を指導したのは佐川幸義ただ一人である。
武田惣角が大阪の久琢磨(3年後に免許皆伝)を初めて訪ねる直前まで、武田と佐川が一緒に各地を指導して廻った事を記した新聞記事が残されている。
佐川が第36代宗家に就任した時、久琢磨は「貴下が其 ……
佐川幸義さんが亡くなってから、27年と54日が経ちました。(9916日)