ローラ・ジスキン 氏Laura Ellen Ziskin
映画プロデューサー[日本]
(「プリティ・ウーマン」「スパイダーマン」など)
2011年 6月12日 死去乳がん享年62歳
ローラ・エレン・ジスキン(Laura Ellen Ziskin, 1950年3月3日 - 2011年6月12日)は、アメリカ合衆国の映画プロデューサーである。
史上はじめてアカデミー賞を単独でプロデュースしたプロデューサーであり、2002年の第74回と2007年の第79回をプロデュースした。
生涯=
カリフォルニア州サンフェルナンド・バレーで生まれ育った。
父親のジェイ・ジスキンは心理学者で弁護士であり、1997年に77歳で前立腺癌により亡くなった。
ユダヤ系の家族である。
1973年に南カリフォルニア大学の映画芸術学部を卒業後、ジスキンはゲーム・ショウの脚本を書き始め、その後はジョン・ピーターズの個人秘書になった。
ジスキンはすぐにピーターズの製作会社の企画幹部となり、1976年のバーブラ・ストライサンド主演の『スター誕生』に着手した。
27歳くらいの頃に脚本家のジュリアン・バリーと結婚し、連れ子3人を育てるためにコネチカット州に移った。
後に2人は娘を一人もうけた。
2010年にジスキンはアルヴィン・サージェントと再婚し、死亡するまで婚姻関係を続けた。
フォグウッド・フィルムズ及びインディペンデント・プロデューサー時代=
1984年にサリー・フィールドと共にフォグウッド・フィルムズを設立し、『マーフィのロマンス』を製作した。
またインディペンデント・プロデューサーとしても活動し、当時無名だったケビン・コスナーとショーン・ヤングをジーン・ハックマンと共演させ、オライオン ……
ローラ・ジスキンさんが亡くなってから、13年と163日が経ちました。(4911日)