ヘンリー・ヒュースケンHenry Conrad Joannes Heusken
通訳[オランダ→アメリカ]
(幕末に江戸・芝で斬殺される、万延元年12月5日没)
1861年 1月15日 死去斬殺享年28歳
ヘンドリック・コンラッド・ジョアンズ・ヒュースケン(英語: Hendrick Conrad Joannes Heusken, オランダ語: Henricus Coenradus Yoannes Heusken, 1832年1月20日 - 1861年1月16日)は、オランダ生まれのアメリカ合衆国官吏。
全権使節タウンゼント・ハリスの通訳兼書記を務め、日米修好通商条約の締結など、幕末開国期の日本で日米の外交折衝に重要な役割を果たした。
ハリスの任務遂行に寄与したほか、日本との通商を求めて来日してきたイギリス、プロイセンの代表を補佐するなど先達役も務めて評価されたが、横浜開港後、散発的に起きた外国人襲撃の標的となり、通商条約発効後18か月目にして暗殺された(7人目の外国人犠牲者)。
滞日4年5か月の間に日本語も覚え、かなり使いこなしたという。
日本では一般にヘンリー・ヒュースケン(Henry Heusken)の名で親しまれている。
ヘンリー・ヒュースケンが亡くなってから、165年と106日が経過しました。(60372日)