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円谷幸吉(つぶらやこうきち)

マラソン選手[日本]

1968年 1月9日 死去自殺享年27歳

円谷幸吉 - ウィキペディアより引用

円谷 幸吉(つぶらや こうきち、本名:つむらや こうきち、1940年(昭和15年)5月13日 - 1968年(昭和43年)1月9日)は、日本の陸上競技(長距離走・マラソン)選手、陸上自衛官。
福島県岩瀬郡須賀川町(現・須賀川市)出身。
中央大学経済学部卒業。
自衛隊体育学校所属。
最終階級は2等陸尉。
第一級防衛功労章、勲六等瑞宝章受章。
5000m・10000m・20000mで日本記録を樹立し、1964年東京オリンピックのマラソンで3位入賞、10000mで6位入賞を果たした。
しかし、オリンピックから約3年後の1968年1月に自殺を遂げ、当時の日本の社会に大きな影響を与えた。
生涯= 生い立ち= 1940年(昭和15年)5月13日、福島県岩瀬郡須賀川町に生まれる。
7人きょうだいの末っ子(上に兄5人、姉1人)で、生家は田畑や山を持つ農家だった。
太平洋戦争末期の5歳の頃、散歩中に連れていた飼い犬を追って、幅約1mの小川を飛び越えようとした際、ぬかるみに足を取られて転倒し、腰を強打する。
医師の診断で腰骨にずれが生じたことが判明したが、日常に支障がないため放置した。
これが後年の腰痛や持病の遠因となる。
須賀川市立第一中学校を経て福島県立須賀川高等学校に進学する。
2年生だった1957年、兄に誘われて地元の駅伝練習に参加したのが陸上競技への入口となる。
同年秋、県縦断駅伝大会を前に高校陸上部の選手に欠員が生じた際に代役に誘われ、区間最高記録を出した。
これに前後して正式に陸 ……

円谷幸吉が亡くなってから、56年と330日が経過しました。(20784日)