アフマド・カディロフ 氏Akhmad Abdulkhamidovich Kadyrov
政治家、大統領[チェチェン]
2004年 5月9日 死去暗殺享年54歳
アフマト・アブドゥルハミドヴィッチ・カディロフ(ロシア語: Ахма́т Абдулхами́дович Кады́ров、Akhmad Abdulkhamidovich Kadyrov、チェチェン語: КъадиргӀеран Ӏабдулхьамидан Ахьмад-Хьаьж。
1951年8月23日 - 2004年5月9日)は、チェチェンの政治家、軍人、聖職者、イスラム教の高位聖職者。
概要=
チェチェン地方のムフティー(法解釈者)を務め、イスラム教勢力を代表する存在であった。
日本の報道では朝日新聞やCNNがカドイロフと表記している。
第一次紛争ではロシアとの戦いを「聖戦(ジハード)」とするファトワーを出すなど独立派の精神的指導者として行動した。
戦後に成立したマスバトフ政権ではワッハーブ派を信仰するシャミル・バサエフ国防大臣ら強硬派を嫌って、彼らと対立する大統領を支持する。
しかしマスバトフのバサエフ派切り崩しを狙ったワッハーブ派庇護に反対した為、カディロフは政権から追放される。
以後は第三勢力として両者と睨み合う関係にあったが、第二次紛争でマスバトフ・バザエフ双方を敵視したロシア軍の後ろ盾を得てチェチェン行政府長官に就任、反対勢力の掃討に成功する。
こうした功績から新たに成立したロシア連邦加盟国としての「チェチェン共和国」の初代大統領に就任した。
2004年5月9日、対独戦勝記念式典参加中にチェチェン独立派によって暗殺。
死後、ロシア政府より連邦英雄勲章が授与されている。
経歴=
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アフマド・カディロフさんが亡くなってから、20年と196日が経ちました。(7501日)