長崎源之助 氏(ながさきげんのすけ)
児童文学作家[日本]
2011年 4月3日 死去享年88歳
長崎 源之助(ながさき げんのすけ、1924年2月19日 - 2011年4月3日)は、日本の児童文学作家。
来歴・人物=
神奈川県横浜市出身。
少年時代はよく遊び、よく本を読んで過ごしたと言う。
淺野總合中學校(現在の浅野中学校・高等学校)入学後は、夏目漱石『吾輩は猫である』などを岩波文庫で読んだことで読書の楽しみを知り、坪田譲治『子供の四季』に感動して文学を行う上での目標と考える。
しかし、中学5年の時に腹膜炎にかかったため、1年休学をした後に退学。
1942年頃から、近所の子供たちを集めた「子ども隣組」を始め、読み聞かせを行う。
同じころに、俳句に興味を持ち、句誌に投稿を始める。
1944年に応召し、陸軍に入営。
華北で終戦を迎え、1946年に復員。
復員後は精米業、左官手伝い、古本屋、文具店、雑貨店、写真屋など、職を転々としつつ、日本童話会に入会して児童文学を書き始める。
同年には自作の詩『クワとシャベル』が、雑誌「銀河」に掲載されて初めて原稿料をもらう。
また、1947年に地元の小学校の教諭と「やまびこ子供会」をつくり、佐藤さとると知り合う。
1949年に、佐藤さとると共に、平塚武二に師事。
1950年には同人誌「豆の木」をいぬいとみこや神戸淳吉、佐藤さとるらとともに発行する。
1956年に雑誌『日本児童文学』に発表した「チャコベエ」「トコトンヤレ」などで児童文学者協会新人賞受賞。
1968年にそれまで続けて来た商店を閉店し、文筆 ……
長崎 源之助氏(ながさき・げんのすけ=児童文学作家)3日午後0時52分、横浜市の病院で死去、87歳。横浜市出身。自宅は同市南区井土ケ谷中町152。葬儀は7日正午から同区井土ケ谷下町2の4の1の井土ケ谷奉斎殿で。喪主は妻和枝(かずえ)さん。 徴兵され中国で敗戦を迎えた体験から、平和の大切さを訴える作品などを発表した。「ヒョコタンの山羊」「トンネル山の子どもたち」で日本児童文学者協会賞、「忘れられた島へ」で野間児童文芸賞。「つりばしわたれ」が小学校国語教科書にも掲載された他、原爆をテーマにした「ひろしまのエノキ」「汽笛」などでも知られる。 08年12月から脳梗塞で入院していた。(2011/04/04-16:57)
長崎源之助さんが亡くなってから、13年と233日が経ちました。(4981日)