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荻野吟子(おぎのぎんこ)

医師[日本]

1913年 6月23日 死去享年63歳

荻野吟子 - ウィキペディアより引用

荻野 吟子(おぎの ぎんこ〈戸籍上の本名:荻野ぎん[6]〉、1851年4月4日〈嘉永4年3月3日〉 - 1913年〈大正2年〉6月23日)は、近代日本における最初の女性の医師である[1][2][7]。
女性運動家としても知られる[1][2]。
なお、日本人女性初の国家資格を持った医師であるが、医術開業試験制度がなかった時代から、榎本住(1816年 - 1893年)ほか何人かの女性医師が開業していた[注 1]。
西洋医学を学んだ女性医師としてはシーボルトの娘・楠本イネ(1827年 - 1903年)がいる[9]。
生涯・人物= 年譜= 1851年(嘉永4年) - 武蔵国幡羅郡(はたらぐん)俵瀬(たわらせ)村(現在の埼玉県熊谷市俵瀬[3][4][8]、2005年〈平成17年〉9月30日までは大里郡妻沼町大字俵瀬)に、代々苗字帯刀を許された名主の荻野綾三郎、嘉与(かよ)の五女(末娘)として生をうける[4][6][注 2]。
1868年(慶応4年) - 武蔵国北埼玉郡上川上村(現在の熊谷市上川上)の名主の長男稲村貫一郎と結婚[3][4][5][6][8]。
1870年(明治3年) - 夫からうつされた淋病がもとで離婚。
上京して大学東校に入院し婦人科治療をうけるが、そのとき治療にあたった医師がすべて男性で、男性医師に下半身を晒して診察される屈辱的な体験から、女医となって同じ羞恥に苦しむ女性たちを救いたいという決意により、女医を志す[1][3][5][8][11][注 3]。
1873年(明治6年) - 上京し、国学者で皇漢医の井上頼圀(よりくに)に師事[2][3][4][5][11]。
頼圀より後妻に望まれる[13]。
1874 ……

荻野吟子が亡くなってから、112年と9日が経過しました。(40917日)

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