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谷口尚真(たにぐちなおみ)

海軍大将[日本]

1941年 10月31日 死去享年72歳

谷口尚真 - ウィキペディアより引用

谷口 尚真(たにぐち なおみ、1870年4月17日(明治3年3月17日) - 1941年(昭和16年)10月31日)は、日本の海軍軍人。
第18代連合艦隊司令長官、第14代軍令部長。
海軍大将従二位勲一等功四級。
海軍良識派を代表した一人と言われる提督である。
人物・来歴= 略歴= 広島県広島市田中町(現中区田中町)に広島藩士(足軽)谷口真郷の二男として生まれる。
1892年、海軍兵学校卒業(19期)。
同期に百武三郎がいる。
1894年、巡洋艦「高雄」に乗り込み日清戦争に従軍。
1902年、海軍大学校(甲種)卒業。
1904年、「浪速」乗り込みの参謀として日露戦争に出征。
戦争途中で少佐に累進し軍令部参謀となって海軍作戦に参画。
1921年、中将。
1923年、海軍兵学校校長に就任、同校教育に情熱を注いだ。
1926年及び1929年、呉鎮守府司令長官。
1928年、大将。
同年、第18代連合艦隊司令長官に就任。
1930年、ロンドン海軍軍縮会議を巡って海軍が二分し始めた同年、海軍軍令部長に就任。
無条約派(艦隊派)が大勢を占め、青年将校や予備役将官らの反対を受ける中、条約派の谷口は、海軍部内の調整に努め批准実現に貢献した。
しかし1933年、大角人事で予備役に編入された。
1941年10月30日薨去。
人物= その謹厳な人柄から「海の乃木」とも称された。
第二艦隊司令長官時代、あまりの謹厳さに閉口した参謀長の米内光政が「河の水 魚棲むほどの 清さかな」と色紙に書いて進呈し、谷口も「(ご忠告 ……

谷口尚真が亡くなってから、82年と362日が経過しました。(30313日)

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