大高正人 氏(おおたかまさと)
建築家[日本]
2010年 8月20日 死去老衰享年88歳
大高 正人(おおたか まさと、1923年9月8日 - 2010年8月20日)は日本の建築家、都市計画家。
福島県三春町出身。
略歴=
福島県三春町に生まれる。
祖父が三春藩士で河野広中をリーダーに自由民権運動の激しい戦いに身を投じ、苦難の境涯に屈することはなかったが、運動はもはやこれまでと自ら命を絶ったとされ、大高の父は、これを隠して弾圧を逃れる生活を送り、大高の生後間もなく福島市近郊に移った。
1940年旧制福島県立福島中学校(現福島県立福島高等学校)卒業。
在学中器械体操部のマネージャーと美術部部長をつとめる。
このころや少年時代のもっとも楽しかった想い出は、風景を水彩で写生したことだという。
41年旧制浦和高等学校理科入学。
ここでも体操部所属。
物理の授業で、マックスウェルの電磁方程式を、場の理論の展開によって導き出すノート三冊分にもなる講義をきき、文章ではなく数式による美しくも見事な存在論に強く印象づけられたという。
そして寮生たちと物理や哲学こそ人間存在の根本的な認識にかわる崇高なもので、もとは建築などは下支えするサービス業と思っていたが、物理や哲学は自分にはむかないと気づき、下支えすることも大事と考え、建築に進むことに決めたのは進学試験の直前だったという。
こうして1944年高等学校を繰り上げ卒業。
同年九月に西千葉にあった東京帝国大学第二工学部建築学科に進学。
その年末近くに教練の授業中、青空に ……
大高正人さんが亡くなってから、14年と93日が経ちました。(5207日)