菊竹清訓 氏
建築家[日本]
2011年 12月26日 死去心不全享年83歳
菊竹 清訓(きくたけ きよのり、1928年4月1日 - 2011年12月26日)は、日本の建築家。
一級建築士、博士(工学)。
来歴=
福岡県久留米市出身。
1944年、早稲田大学専門部工科建築学科入学。
1945年に久留米駅舎コンペで1等、1948年に広島平和記念カトリック聖堂コンペで3等を獲得するなど、在学中から既に活躍していた。
1950年、早稲田大学理工学部建築学科卒業、同年竹中工務店勤務。
1952年村野・森建築設計事務所を経て、1953年に菊竹清訓建築設計事務所を開設。
1960年代後期から70年代にかけ、独自のデザイン論である『代謝建築論 か・かた・かたち』を掲げ、黒川紀章らとともに建築と都市の新陳代謝、循環更新システムによる建築の創造を図ろうとするメタボリズムを提唱する。
1995年に早稲田大学より博士(工学)の学位を取得(博士論文「軸力ドームの理論とデザイン」)。
早稲田大学理工学部講師(1959年)、千葉工業大学教授(1989年)、早稲田大学理工学総合研究センター客員教授(1993年 - 1998年)を歴任。
2000年にユーゴスラビア・ビエンナーレにて「今世紀を創った世界建築家100人」に選ばれている。
1970年の日本万国博覧会(大阪万博)では『エキスポタワー』、1975年の沖縄国際海洋博覧会(沖縄海洋博)では『アクアポリス』を設計し、1985年の国際科学技術博覧会(つくば科学万博)ではマスタープラン作成委員としてBブロックの会場計画および外国館の設計を担当、2005年日本国際 ……
建築運動「メタボリズム」の提唱者として知られる建築家の菊竹清訓(きくたけ・きよのり)氏が昨年12月26日午後4時57分、肺炎による心不全のため東京都中央区の病院で死去した。83歳だった。福岡県出身。葬儀は近親者で済ませた。後日、お別れの会を開く予定。 早大建築学科卒。1960年、建築と都市の有機的な成長を目指す「メタボリズム」グループを黒川紀章さんらと結成し、海上都市や塔上都市などの構想を発表した。主な設計作品に沖縄海洋博のアクアポリス、江戸東京博物館、九州国立博物館など。愛知万博の総合プロデューサーも務めた。日本建築士会連合会名誉会長。国際建築アカデミー理事。 なお自宅は東京都文京区大塚1の10の1。(2012/01/05-14:07)
菊竹清訓さんが亡くなってから、12年と331日が経ちました。(4714日)