加藤克巳 氏(かとうかつみ)
歌人[日本]
2010年 5月16日 死去心不全享年96歳
加藤 克巳(かとう かつみ、1915年6月30日 - 2010年5月16日)は、昭和・平成期の歌人。
経歴=
京都府綾部市生まれ。
旧制埼玉県立浦和中学校在学中に短歌を作り始め、若山牧水系の歌誌「菁藻」(主宰:髙橋俊人)に入会。
1933年、國學院大學予科入学、1935年、國學院大學国文科進学、折口信夫、武田祐吉らの薫陶を受ける。
在学中に新芸術派短歌運動に加わり「短歌精神」を創刊。
1936年、若手歌人の集まり「四月会」に参加。
1937年、第一歌集『螺旋階段』を刊行。
1938年、國學院大學卒業。
その後応召し、敗戦まで軍隊生活を経験する。
戦後は浦和中学校の教諭に復帰。
1946年、常見千香夫、大野誠夫らと「鶏苑」を創刊、近藤芳美、宮柊二らと「新歌人集団」を結成。
1948年より家業である埼玉ミシン工業に勤務し、のち社長、会長を歴任。
1949年、「新歌人集団」解散後、「歌人懇話会」を開き、のち「作品研究会」とし、しばらく継承。
1953年、「近代」を創刊し、主宰。
1963年に「個性」と名を改め、2004年に終刊。
1956年、発起人として現代歌人協会を創立、理事を務める(1991年から1994年まで理事長)。
1996年、宮中歌会始召人。
この間、日本現代詩歌文学館振興会常任理事、埼玉県歌人会会長・顧問、埼玉県文化団体連合会理事長・会長・顧問、埼玉文芸懇話会会長、埼玉文芸家集団代表、さいたま文学館運営委員会常任委員、埼玉県立近代美術館協議会委員、埼玉県立自然史博 ……
加藤克巳さんが亡くなってから、14年と189日が経ちました。(5303日)