大石又七 氏(おおいしまたしち)
元 第五福竜丸乗組員[日本]
2021年 3月7日 死去誤嚥性肺炎享年88歳
大石 又七(おおいし またしち、1934年1月23日 - 2021年3月7日)は、反核運動家。
元漁船乗組員。
経歴=
静岡県榛原郡吉田村(現吉田町)生まれ。
1948年、吉田村立南中学校を2年で中退し、漁師となった。
第五福竜丸の甲板員・冷凍士として出航中の1954年3月1日、マーシャル諸島ビキニ環礁での核実験(ブラボー実験)で放射性降下物(いわゆる死の灰)を浴び被爆した(ビキニ事件)。
脱毛や水疱などの症状が出て、1年2か月間入院生活を送った。
被爆者への無理解や偏見に耐えきれず、1955年に東京都内に移住、2010年末までクリーニング店を営んだ。
差別や偏見が家族に及ぶことを恐れ、被爆について長年沈黙を貫いていたが、仲間の乗組員らががんなどで相次いで死去する中、1983年都内の中学生にビキニ事件について初めて話した。
これ以降、被爆体験を語り、核廃絶を訴える活動をすすめた。
2002年、マーシャル諸島を訪問し、第五福竜丸乗組員の現況を語った。
2010年5月、ニューヨークの国際連合本部ビルで開かれた2010年核拡散防止条約再検討会議に参加し核廃絶を訴えた。
築地にマグロ塚を作る会主宰、財団法人第五福竜丸平和協会評議員。
放射線や内部被曝の危険性を訴え続け、「ビキニ事件と福島第一原子力発電所事故は、内部被曝を引き起こすという意味で本質的には全く同じ」と述べた。
また、ビキニ事件と日本の原子力発電導入の関係や、ビキニ事件被爆補償の問題点につい ……
大石又七さんが亡くなってから、3年と259日が経ちました。(1355日)