天保4年生まれ。円山応震の甥。円山応立に学び、山水・花鳥画を能くする。明治17年、第2回内国絵画共進会に「桂御所御庭図」「花鳥」を出品、褒状を受けた。明治20年3月29日死去。55歳。京都出身。字は仲質。別号に彬々斎。(参照元・講談社 デジタル版 日本人名大辞典+Plus)
国井応文が亡くなってから、137年と237日が経過しました。(50276日)