アール・ワイルド 氏Earl Wild
ピアニスト[アメリカ]
2010年 1月23日 死去心不全享年96歳
アール・ワイルド(Earl Wild, 1915年11月26日 - 2010年1月23日)はアメリカ合衆国のピアニスト・作曲家。
人物=
19世紀のヴィルトゥオーゾの伝統を引き継いだことを自負しており、正統的なレパートリーよりは、専らトランスクリプションや編曲を好んで演奏している。
ジャズやガーシュウィンの演奏でも有名。
ペンシルベニア州ピッツバーグ出身。
神童としてエゴン・ペトリほかに師事した。
10代で作曲を始め、ロマン派音楽のトランスクリプションも手がける。
1942年にトスカニーニに招かれ、ガーシュウィンの《ラプソディー・イン・ブルー》によってオーケストラと初共演を行い、大々的な成功を収め、名声を確かなものにした。
第二次世界大戦中は海軍に仕官し、退役後は新設されたABCに、局内ピアニスト・指揮者・作曲家として1968年まで活動した。
アメリカ合衆国ピアノ界の最長老にもかかわらず、年齢を感じさせない正確なメカニックにより、演奏活動や録音のかたわら、世界各地でマスタークラスを主宰しており、とりわけ北京、ソウル、東京での活動が知られていた。
2004年9月に倒れたが、手術を受け、自宅療養を続けた後、2005年11月29日にカーネギー・ホールで生誕90周年祝賀コンサートを開催した。
自作の大作では、ラフマニノフの《パガニーニ狂詩曲》と似た構成の、《フォスターの「草競馬」による変奏曲》(1992年)、「リッキー・マーティン風のトッカータ」と題された終楽章を ……
アール・ワイルドさんが亡くなってから、14年と315日が経ちました。(5429日)