マキノ正幸 氏(まきのまさゆき)
沖縄アクターズスクール 創設者[日本]
2024年 6月28日 死去敗血性ショック享年84歳
マキノ 正幸(マキノ まさゆき、1941年2月7日 - 2024年6月28日)は、日本の経営者。
沖縄アクターズスクール創業者。
京都府出身。
本名:牧野 正幸(読み同じ)。
来歴・人物=
映画監督のマキノ雅弘・宝塚出身の女優である轟夕起子の子として生まれる。
小学校の時に両親が離婚し、父は女優の鳳弓子と、母は俳優の島耕二と再婚した。
1953年、青山学院中等部に入学。
野球部に入り小柄ながらショートを守って活躍。
ぼんぼん育ちでまともな就職はしたことがなく、青山学院大学経済学部を卒業後、従兄の長門裕之が始めた芸能事務所「人間プロ」の専務や六本木で会員制ジャズクラブ「マックス・ホール」を経営。
経営していた福島のスキー場が倒産したのを契機に、1971年に沖縄を訪れ、亡母の遺産と馬主(最年少個人馬主として10頭以上を所有)の収入で暮らす。
1974年に那覇市泊でナイトクラブ「ジュエルパレス」を開店。
1983年4月に沖縄初の芸能学校沖縄アクターズスクールを開校。
1989年にはナイトクラブは赤字により閉店、競走馬も故障し収入が絶たれて借金生活となったためスクール事業継続のため、家族を残して上京し、高級石鹸のセールスマンとなりスクール立て直しの資金を作る。
2000年以降、スクールの勢いが少しずつ縮小に向かうなか、娘のアンナと対立して絶縁。
不登校児のためのフリースクールに力を入れた。
2021年に体調を崩し入院したのをきっかけに、娘のア ……
マキノ正幸さんが亡くなってから、146日が経ちました。