阿部雅龍 氏(あべまさたつ)
冒険家[日本]
2024年 3月27日 死去享年43歳
阿部 雅龍(あべ まさたつ、1982年〈昭和57年〉12月29日 - 2024年〈令和6年〉3月27日)は、日本の冒険家、人力車夫。
来歴・人物=
秋田県秋田市で生まれ、南秋田郡昭和町(現・潟上市)で育つ。
郷里の小中学校、秋田県立秋田中央高等学校を経て、秋田大学工学資源学部機械工学科を卒業。
小学生の時、母に買ってもらった探検家の本でノルウェーのアムンゼン、イギリスのスコットと並んで秋田出身の探検家・白瀬矗が描かれていることに驚き、元々身体が弱かったこともあり、仲間と一緒に困難なことに挑戦する冒険家は理想の存在であった。
秋大時代は、空手に打ち込み、2年生の終わりの春休みに大阪までヒッチハイクで行く。
駅や道端で寝たり、トラック運転手に食事をおごってもらう旅を通じ、同郷の白瀬や北極・南極を単独徒歩で横断した山形出身の冒険家大場満郎に憧れを募らせ、大学を2年間休学することを決断。
大場の主催する山形・最上町の冒険学校でスタッフとして働いたほか、アルバイトで資金を貯め、はじめての冒険旅行として南米大陸に赴く。
自転車で標高5千メートルの高地を越え、テントで暮らしながら10ヶ月で南北を縦断した。
大学卒業時、就職するか否か悩んだが、一度きりの人生として冒険家の道を選び上京。
トレーニングを兼ねて浅草で人力車を引き始める。
2018年11月23日、単独徒歩で南極点へ目指し出発。
年が明けた1月16日、日本人初となるメスナールート ……
阿部雅龍さんが亡くなってから、239日が経ちました。