篠塚建次郎 氏(しのづかけんじろう)
ラリードライバー[日本]
2024年 3月18日 死去膵臓がん享年77歳
篠塚 建次郎(しのづか けんじろう、1948年11月20日 - 2024年3月18日)は、日本のラリードライバー。
東京都大田区出身・山梨県北杜市居住。
東海大学工学部工業化学科卒業。
三菱自動車の社員ドライバーとして活躍し、自動車の世界ラリー選手権(WRC)とパリ・ダカール・ラリー(パリダカ)で日本人初の優勝者となった。
また、現在でも日本人唯一のWRCトップカテゴリーでの優勝者である。
「生涯現役」を常にモットーとして貫き、75歳時の2023年ラリージャパン時(死去の4か月前)にもスバル・フォレスターで女性初のWRC優勝ドライバーのミシェル・ムートンをコ・ドライバーに迎えデモランを行うなど、生涯にわたり現役プロドライバーであり続けた。
愛称は「シノケン」、「ライトニング(稲妻)・ケンジロー」。
俳優の三浦友和の義兄である。
経歴=
社員ラリードライバー=
小学生の頃は乗馬、中学生は自転車、高校生はオートバイと「乗り物」に親しみながら育つ。
1967年、大学入学後に運転免許を取得し、友人の誘いでナビゲーターとしてラリーに参加し魅力を知る。
その後はドライバーとして頭角を現し、大学3年の時には三菱自動車のワークスチーム「コルト・モータースポーツクラブ (CMSC)」にスカウトされた。
大学卒業後、1971年に三菱自動車に入社。
販売店のセールスマンや整備工場のメカニックを経験しながら、週末はワークスドライバーとして日本各地のラリー競技会に出場 ……
篠塚建次郎さんが亡くなってから、248日が経ちました。