ジノヴィー・ロジェストヴェンスキーZinovy Petrovich Rozhestvensky
ロシア帝国海軍中将[ロシア]
(日露戦争時のバルチック艦隊司令長官)
1909年 1月1日 死去病死享年62歳
ジノヴィー・ペトロヴィチ・ロジェストヴェンスキー(ズィノーヴィイ・ペトローヴィチ・ロジェーストヴェンスキイ;ロシア語:Зиновий Петрович Рожественскийズィノーヴィイ・ピトローヴィチュ・ラジェーストヴィンスキイ;ラテン文字表記の例:Zinovij Petrovich Rozhestvenskij、1848年10月30日(グレゴリオ暦11月11日) - 1909年1月1日(グレゴリオ暦1月14日))は、帝政ロシア海軍の軍人、最終階級は少将。
日露戦争においてバルチック艦隊(第二・第三太平洋艦隊)の司令長官を務めた。
人物概要=
生い立ち=
帝政ロシアの将校には珍しく貴族出身ではなかった(父は軍医)。
1864年、海軍幼年学校に入校し、その後ペテルブルクのミハイロフ砲術アカデミーを優秀な成績で卒業した後、1873年、中尉に任官した。
ロシア海軍=
当初、海軍砲術試験委員会で働き、電気工学に興味を持った。
1877年、露土戦争に従軍し、四等ゲオルギー勲章を授与された。
1883年、ブルガリア海軍司令官となる。
その後、バルチック艦隊に移り、1894年、ステパン・マカロフ指揮下の地中海艦隊で装甲巡洋艦「ヴラジーミル・モノマフ」の艦長となった。
1898年、少将に昇進し、バルチック艦隊の教育砲術支隊司令官となった。
支隊司令官在任時、現行の貴族中心の採用基準では有能な人物を抜擢できないとして、暗に貴族制度を批判していた。
1903年、海軍参謀総長を歴任し、皇帝ニコライ2世の侍従武官を務めて皇帝から ……
ジノヴィー・ロジェストヴェンスキーが亡くなってから、115年と303日が経過しました。(42307日)