小笠原長和(おがさわらながよし)
肥前唐津藩主[日本]
1840年 11月16日 死去享年20歳
小笠原 長和(おがさわら ながよし)は、江戸時代後期の大名。
肥前国唐津藩4代藩主。
官位は従五位下・佐渡守。
忠知系小笠原家12代。
生涯[編集]
大和国郡山藩主・柳沢保泰の九男。
幼名は元之助。
先代の唐津藩主・小笠原長会の養子となり、天保7年(1836年)に長会の死去により跡を継いだ。
同年6月1日、11代将軍・徳川家斉に拝謁する。
天保8年(1837年)8月25日、従五位下・佐渡守に叙任する。
天保の大飢饉により領内で大飢饉が起こると、その救済に尽力した。
しかし家臣の一部に不逞な輩がいたことが原因で、天保10年(1839年)に領内で一揆が起こった。
これを鎮めるために尽力していた翌年10月23日、失意のうちに20歳で死去し、跡を養嗣子の長国(松平光庸の長男)が継いだ。
墓所は佐賀県唐津市の近松寺。
系譜[編集]
父母
柳沢保泰(実父)
小笠原長会(養父)
養子
小笠原長国 ー 松平光庸の長男
脚注[編集]
^ 『小笠原長和』 - コトバンク
表話編歴小笠原氏唐津藩4代藩主 (1836年 - 1840年)寺沢家
寺沢広高1593-1633
寺沢堅高1633-1647
無継嗣、断絶
大久保家
大久保忠職1649-1670
大久保忠朝1670-1678
下総佐倉藩に転封
大給松平家
松平乗久1678-1686
松平乗春1686-1690
松平乗邑1690-1691
志摩鳥羽藩に転封
土井家
土井利益1691-1713
土井利実1713-1736
土井利延1736-1744
土井利里1744-1762
下総古河藩に転封
水野家
水野忠任1762-1775
水野忠鼎1775-1805
水野忠光1805-1812
水野忠邦1812-1817
遠江浜松藩に転封
小笠原家
……
小笠原長和が亡くなってから、183年と252日が経過しました。(67093日)