柴田駿 氏(しばたはやお)
フランス映画社 創業者[日本]
(1970年代後半から世界の名匠の作品を日本で供給し、また、1980年代以降のミニシアター文化を先導した。)
2019年 12月11日 死去慢性閉塞性肺疾患享年79歳

柴田 駿(しばた はやお、1940年(昭和15年)12月12日 - 2019年(令和元年)12月11日)は、日本の実業家である。
フランス映画社の創設者として知られている。
経歴=
川喜多和子との交際を報じる雑誌記事。
『女性セブン』1967年2月8日号より。
大阪府出身。
東京外国語大学で学んだ。
1965年(昭和40年)、ユニフランス・フィルムに勤務していた頃に川喜多和子と出会う。
1966年9月、川喜多と柴田は同棲を開始し、10月26日に川喜多は伊丹十三と離婚した。
1967年に川喜多は柴田の主催するフランス映画社に入った。
1968年2月、二人はフランス映画社を会社として設立し、結婚した。
柴田は同社の社長として、テオ・アンゲロプロス、ビクトル・エリセ、ヴィム・ヴェンダース、ジム・ジャームッシュ、侯孝賢などの監督作品の日本での配給を手がけた。
ジャン=リュック・ゴダールとは個人的にも親交があり、『勝手にしやがれ』や『気狂いピエロ』といった旧作のリバイバル上映も含めて、ゴダールの監督作品を数多く日本に紹介した。
そのほかに、大島渚や柳町光男の監督作品など、日本映画の外国での上映にも携わった。
1990年の第43回カンヌ国際映画祭、1994年の第44回ベルリン国際映画祭では審査員を務めた。
2014年にフランス映画社が破産したあとは、表舞台から退いていた。
2019年12月11日、慢性閉塞性肺疾患により東京都の病院で死去。
78歳没。
受賞=
2009年 - 第18回日本映画批評 ……
柴田駿さんが亡くなってから、5年と113日が経ちました。(1939日)