ダルトン・トランボDalton Trumbo
脚本家、映画監督[アメリカ]
1976年 9月10日 死去享年72歳
ダルトン・トランボ(ドルトン・トランボとも表記、Dalton Trumbo, 1905年12月9日 - 1976年9月10日)は、アメリカ合衆国の脚本家、映画監督、小説家。
アメリカで1940年代に起こった赤狩りに反対したいわゆるハリウッド・テンの一人。
迫害期にはベン・L・ペリー(Ben L. Perry)、ロバート・リッチ(Robert Rich)などのペンネームで活動し、またイアン・マクレラン・ハンター(Ian McLellan Hunter)の名義を借用したこともある。
プロフィール=
生い立ち=
アメリカ合衆国コロラド州モントローズに生まれた。
貧しい家庭で育ち、高校時代から地元の日刊紙の記者などのアルバイトを経験し、弁論大会では優秀な成績を残した。
1924年にコロラド大学に入学するが、父親の病気のために学費が払えず実家に戻った。
家計を支えるためにパン工場で8年間働き、小説家を志して作品を書きながら、酒の密売もしていた。
密売人としての経験を書いた記事が『ヴァニティ・フェア』に掲載されるなど、編集者から注目されるようになり、映画評論家、編集者としての仕事を得た。
脚本家へ=
小説は書き続けていたが出版される見込みが無いため、職を得ようと知人の紹介でワーナー・ブラザースの脚本部に採用された。
脚本家としては1936年に2本の映画が公開されデビューした。
脚本家としていくつもの会社を渡り歩き、多数の脚本を手がける一方で小説の執筆も続け、1939年には小説『ジョニーは戦場へ行った』を出版した ……
ダルトン・トランボが亡くなってから、48年と72日が経過しました。(17604日)