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小笠原忠真(おがさわらただざね)

播磨明石・豊前小倉 初代藩主[日本]

(寛文7年10月18日没)

1667年 12月3日 死去享年72歳

小笠原忠真 - ウィキペディアより引用

小笠原 忠真(おがさわら ただざね)は、江戸時代前期の大名、茶人。
信濃国松本藩の第2代藩主、播磨国明石藩主、豊前国小倉藩主。
贈従三位(1916年)。
生涯= 下総国古河城に生まれる。
徳川秀忠から偏諱を授かって忠政と名乗り、晩年に忠真と名を変えた。
慶長20年(1615年)の大坂夏の陣で父と長兄・忠脩が戦死したため、総領家の家督を相続することとなり、信濃松本8万石を領した。
また、忠脩未亡人で母方の従妹でもある亀姫を正室とし、亀姫と忠脩の子である長次を養育した。
後に播磨三木明石10万石を経て、豊前小倉15万石に移封された。
前小倉藩主39万石の細川忠利は義兄弟である。
島原の乱の際には長崎守備の任を果たした。
剣豪・宮本武蔵が最も長く仕えたといわれる。
大名茶人でもあり、同地の茶湯隆盛の基盤を築いた。
上野焼の育成に尽力した外、茶人の古市了和を召し抱えて小笠原家茶道古流を興した。
元和5年(1619年)、黄檗宗の開祖隠元隆琦の高弟即非如一を招き、広寿山福聚寺を建立した。
糠漬けを好み、小倉城入封の際にも糠床を持ち込み、城下の人々にも糠漬けを奨励した。
現代の小倉においても旧城下の小倉では各家に代々受け継がれた「百年床」という糠床がある。
系譜= 正室:亀姫(円照院) - 徳川家康養女、本多忠政次女 次男:小笠原長安 長女:市松姫(宝光院) - 黒田光之正室 三男:小笠原長宣 次女:嘉禰(兼姫) - 松平頼元正室 ……

小笠原忠真が亡くなってから、356年と351日が経過しました。(130380日)

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