竹久みち 氏(たけひさみち)
三越事件元被告[日本]
2009年 7月24日 死去享年80歳
竹久 みち(たけひさ みち、1930年(昭和5年)1月 - 2009年(平成21年)7月24日)は、昭和時代の服飾デザイナー、実業家。
本名は小島 美知子(こじま みちこ)。
東京都出身。
ペンネームの「竹久」は、竹久夢二にあやかって命名したものである。
三越社長を務めた岡田茂の愛人でもあり、同社の経営にも介入するなどして「三越の女帝」の異名でも呼ばれたが、1982年の「三越事件」で岡田とともに逮捕され、有罪判決を受けて服役した。
概説=
旧制共立女子専門学校生活科(現:共立女子大学)を卒業した後、1957年(昭和32年)文化学院デザイン科を卒業。
文化学院在学中から、銀座で「ヌーベル・アクセサリー研究所」を主宰。
上野松坂屋、銀座松坂屋などと取引。
テレビ各局に出演し、アクセサリーについて語る。
アクセサリー研究所は、改称、転居を経て、1960年(昭和35年)からは、六本木で「竹久みちアクセサリーデザインスクール」として、国内初のアクセサリーデザイナーの養成を始める。
これは、のちに「竹久みちアクセサリー学院」と改称するも、1983年(昭和58年)に閉鎖。
1952年に結婚して長女を出産したが、1957年に離婚。
1963年、三越の宣伝部長(当時)の岡田茂との知遇を得て、その愛人となった。
岡田が三越の社長に就任した1972年以降、竹久の会社「オリエント交易」は三越の大口納入業者となった。
これにより多額の取引手数料を手にしたほか、三越の社内人事 ……
竹久みちさんが亡くなってから、15年と120日が経ちました。(5599日)