沈壽官 氏(ちんじゅかん)
薩摩焼陶芸家・十五代[日本]
2019年 6月16日 死去享年94歳
沈壽官(ちん じゅかん / シム スグァン(심수관))は、薩摩焼の陶芸家の名跡。
現在第15代目。
鹿児島県日置市東市来町美山(旧・苗代川)に窯元を置く。
この項目では当主が「沈壽官」を名乗る以前の、薩摩在住の陶工の子孫としての沈家(ちんけ)の歴史についても述べる。
概要=
薩摩焼の苗代川系(苗代川焼)に属し、初代・沈当吉の末裔である沈家の明治以降(第12代以降)の当主によって襲名されている。
沿革=
江戸時代の「沈家」=
沈壽官家の始祖である初代・沈当吉は、慶尚北道青松郡に本貫を置く青松沈氏の家系で、慶長の役の際、慶長3年(1598年)、島津義弘によって朝鮮国から連行された「被虜人」の一人である。
彼の子孫は、他の被虜朝鮮人の子孫と同様に朝鮮風の氏名を代々受け継ぎ、苗代川に居住することを薩摩藩から命じられた。
第2代・沈当壽および第3代・陶一は陶工として優れた技能を持ち、藩の陶器所を主宰し、第6代・当官以降、当主はしばしは郷役役人を兼ねた。
明治以降の「沈壽官家」=
第12代当主の沈壽官(1835年(天保6年) - 1906年(明治39年))は、幕末維新期の激動期を生き、廃藩後、藩の保護を失った薩摩焼の窯が次々と廃業を余儀なくされるなか、民間経営への移行に成功するなど薩摩焼生産の近代化に尽力し、また明治6年(1873年)のウィーン万博以降、数々の万国博覧会や内国勧業博覧会などに出品を重ねて高い評価を受け、海外販路の拡大に大きく貢 ……
沈壽官さんが亡くなってから、5年と159日が経ちました。(1985日)