畔柳二美(くろやなぎふみ)
作家[日本]
1965年 1月13日 死去享年54歳
畔柳 二美(くろやなぎ ふみ、1912年(明治45年)1月14日 - 1965年(昭和40年)1月13日)は、日本の小説家。
北海道千歳市生まれ、1928年に北海高等女学校卒業。
来歴=
旧姓遠藤。
北海道千歳郡千歳村(現・千歳市字水明郷)の王子製紙株式会社千歳第一発電所の社宅に、発電所技師であった父遠藤彌次郎、母サキの次女として生まれている。
姉八重、弟彌弘、満、實の五人姉弟であった。
1918年(大正7年)発電所内の私立小学校に入学したが、1年程で発電所の勤務が北海道虻田郡狩太村(現在のニセコ町)に移って、狩太尋常小学校に転校し1924年(大正13年)3月卒業、同年4月に札幌市の北海高等女学校に入学している。
そして4年制だった同校を1928年3月に満16歳で卒業したのであるが、「姉妹」はこの頃の彼女自身の自伝的要素が色濃く滲んだ世界で構成されている。
女学校在学中から文学に深く親しみ、佐多稲子(当時は窪川稲子)の「キャラメル工場から」に深く感銘を受けファンレターを送ったのが切っ掛けとなって文通が始まり、日本プロレタリア文化連盟(コップ)発行の『働く婦人』を読むように勧められている。
1932年(昭和7年)20歳の頃であった。
1933年(昭和8年)3月にマリー・ルイズ美容学校に通うため上京して東京生活が始まり、窪川稲子にも面識を得るようになった。
しばらく付合ううちに稲子は二美の人柄に好感を持って、作家仲間の結婚相手にと考えたこともあったようだ ……
畔柳二美が亡くなってから、59年と312日が経過しました。(21862日)