大森安仁子Annie Shepley Omori
芸術家、翻訳家[アメリカ]
1943年 死去
大森 安仁子(おおもり あにこ、Annie Shepley Omori、1856年12月7日 - 1941年8月4日)は、アメリカ合衆国出身の芸術家、慈善活動家、翻訳家。
その生涯の最初の50年間は、アニー・バロウズ・シェプリー (Annie Barrows Shepley) の名前で創作活動をした。
夫は日本最初のオリンピックチーム監督となった大森兵蔵。
人物=
1635年にイングランド王国のマンチェスターから渡米した移民が先祖である。
彼女はニューヨークではハリー・シドンズ・モウブレーのもとで、パリではアカデミー・ジュリアンのジュール・ジョゼフ・ルフェーブルとリュシアン・シモンのもとで学んだ。
その後、彼女はニューヨークとコネチカット州にスタジオを設立した。
そこでは彼女は肖像画家、児童書のイラストレーターとして活動した。
1907年、彼女は日本からの交換留学生だった20歳年下の大森兵蔵と結婚し、日本へ移住した。
彼女は東京に貧しい人々に教育とレクリエーションの機会を提供する「有隣園」というセツルメント運動の施設を設立した。
夫妻は日本の「遊び場運動(playground movement)」における指導者であった。
1913年に兵蔵は死去するが、彼女はその後も中心的役割を果たし続けた。
彼女はまた1920年に古代宮廷女性たちの日記を英語に翻訳した『Diaries of Court Ladies of Old Japan』を出版した。
芸術家として=
彼女はニューヨークではハリー・シドンズ・モウブレーに学び、パリのアカデミー・ジュリアンではジュール ……