ウワディスワフ・シュピルマン 氏Władysław Szpilman
ピアニスト、作曲家[ポーランド]
2000年 7月6日 死去享年90歳
ウワディスワフ・シュピルマン(ポーランド語: Władysław Szpilman、1911年12月5日 - 2000年7月6日)は、ユダヤ系ポーランド人のピアニスト、作曲家、ホロコースト生還者。
生涯=
ワルシャワにあるシュピルマンの墓
1911年、ポーランド立憲王国・ソスノヴィエツで生まれた。
幼少時からフランツ・リストの弟子であったヨセフ・ミスドヴィッチとアレクサンデル・ミハロフスキ(英語版、ポーランド語版)に師事し、ピアノを学んだ。
ワルシャワのショパン音楽院でピアノを学び、20歳からベルリン音楽大学でレオニード・クロイツァーとアルトゥール・シュナーベルに師事した。
1933年から終戦まで
しかし、1933年、ヒトラーが政権を掌握したことにより2年でポーランドへ帰国。
ワルシャワでポーランド放送のピアニストとして音楽家活動を始めた。
この時代、シュピルマンはクラシック音楽の演奏活動のほか、数多くの大衆音楽を作曲し、自らも演奏した。
なかでも彼が作曲し、カジミェシュ・ヴィンクラー(Kazimierz Winkler)が作詞した明るいジャズ調の歌謡曲『ワルシャワの赤いバス』("Czerwony Autobus")がよく知られている。
1939年にヒトラーのポーランド侵攻により第二次世界大戦が勃発。
ドイツ占領下のポーランドでナチス・ドイツによるユダヤ人への大量虐殺(ホロコースト)を目の当たりにした。
家族全員が絶滅収容所送りとなり、ワルシャワ蜂起後の廃墟を逃亡する中、ドイツ軍の将校ヴィ ……
ウワディスワフ・シュピルマンさんが亡くなってから、24年と138日が経ちました。(8904日)