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土井武夫 氏(どいたけお)

航空機設計者[日本]

1996年 12月24日 死去享年93歳

土井武夫 - ウィキペディアより引用

土井 武夫(どい たけお、1904年(明治37年)10月31日 - 1996年(平成8年)12月24日)は、日本の航空機技術者・設計技師、教授。
山形県山形市出身。
日本の航空機技術発展に寄与した一人。
川崎航空機(川崎重工業)の要職を歴任し、戦後初の国産旅客機「YS-11」の開発などを担当した。
略歴[編集] 川崎重工業(川崎航空機)に入社[編集] 1904年(明治37年)、山形県山形市に10人兄弟の7番目として生まれる。
1924年(大正13年)、山形高等学校理科甲類(現: 山形大学理学部)卒。
1927年(昭和2年)、東京帝国大学工学部航空学科卒。
同期に堀越二郎、木村秀政らがいる。
同4月、川崎造船所飛行機部(後の川崎航空機。
現: 川崎重工業航空宇宙システムカンパニー)に入社し、整備工の待遇から始める。
同社がドイツより招聘したリヒャルト・フォークト(Richard Vogt)博士に師事して九二式戦闘機などの設計に携わり、水冷式エンジン搭載型戦闘機の実用化に成功する。
1931年(昭和6年)、フォークトの推薦によりドイツに出張。
クラウディウス・ドルニエ(ドルニエ社創業者)、グスタフ・ラッハマン(ハンドレページ社研究部長)、ハインリヒ・フォッケ(フォッケウルフ社創業者)、アレクサンダー・リピッシュ(デルタ無尾翼機の第一人者)ら、そうそうたる面々の科学者たちと面会し、見識を広める。
イギリス、イタリア、フランスなど他の工業先進国も視察し、特にイギリス・ダウティ ……

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土井武夫さんが亡くなってから、27年と215日が経ちました。(10077日)

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