フランソワ・ミッテラン 氏François Maurice Adrien Marie Mitterrand
政治家、大統領[フランス]
1996年 1月8日 死去前立腺がん享年81歳
フランソワ・モリス・アドリヤン・マリー・ミッテラン(フランス語: François Maurice Adrien Marie Mitterrand、1916年10月26日 - 1996年1月8日)は、フランスの政治家。
同国第21代大統領(在任:1981年5月21日 - 1995年5月17日)、アンドラ共同大公。
国民議会議員、司法大臣、内務大臣を歴任した。
来歴=
生い立ち=
1916年10月26日、シャラント県ジャルナックでカトリックの家庭に誕生した。
父のジョゼフ・ミッテランは鉄道会社に勤め、アングレーム駅長を務めたが、一時保険業を営んだ後に岳父が所有する酢製造所の経営を引き継ぎ、全国酢製造業者連合の会長も務めた。
当初青年右翼であったミッテランは1934年から極右運動に参加し、当時外国人排斥・王制復古を謳っていた右派の政治組織クロア・ド・フーに所属した。
同年にバカロレアを取得し、パリ大学の文学部および法学部に学ぶ。
1937年にパリ政治学院の前身の自由政治科学学院 (École libre des sciences politiques) を修了し、また同年には公法修士号を取得した。
ヴィシー政権=
1939年9月、フランスの第二次世界大戦参戦を受けて軍隊に召集される。
その後負傷してドイツ軍の捕虜となるものの、1941年12月には逃走に成功してフランスへと帰還した。
1942年6月からはフィリップ・ペタンが首班を務める親ドイツ政府であるヴィシー政権下で働き、1943年8月16日には戦前の国家主義活動やヴィシー政権への積極的な傾倒ぶりが認められ、勲章を授与される。
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フランソワ・ミッテランさんが亡くなってから、28年と318日が経ちました。(10545日)