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中島信行(なかじまのぶゆき)

政治家、男爵[日本]

1899年 3月26日 死去享年54歳

中島信行 - ウィキペディアより引用

中島 信行(なかじま のぶゆき、1846年10月5日〈弘化3年8月15日〉 - 1899年〈明治32年〉3月27日)は、日本の政治家。
衆議院議員、初代衆議院議長。
従三位・勲二等・男爵。
通称は作太郎。
長男は中島久万吉。
最初の妻は陸奥宗光の妹の中島初穂(1877年死去)で、後妻は女性解放運動家の岸田俊子。
略歴= 土佐国高岡郡塚地村(現・高知県土佐市塚地)の郷士・中島猪三の長男。
少年期に耕余塾へ通う。
武市半平太の土佐勤王党に加盟、のちに脱藩して長州藩の遊撃隊に加わり、その後坂本龍馬の海援隊で活躍した。
龍馬の死後は陸援隊に参加する。
維新後は新政府に出仕した。
1880年10月12日、13日に上野精養軒の敷地内で開かれた、日本初の野外耶蘇教大説教会(キリスト教野外大集会)で中島は、心を動かされキリスト教へ求道を始める。
さらに、同志社の創設者新島襄に出会い、「いくら政治上で自由とか民権だとか唱えても人間は罪の奴隷である限り、それは空しいことだ、聖書の中にも『真理はあなたたちを自由にする』 と書いてあるように、日本人を自由の民としたいなら、まずあなた自らキリストを信じて罪の問題を解決し自由独立の人とならなければならない」と忠告を受け、信仰を持つ決断をし、1886年に一番町教会で植村正久牧師より洗礼を受けて熱心なクリスチャンになった。
外国官権判事や兵庫県判事を経て、ヨーロッパ留学をした後は神奈川県令や元老院議官をつとめた。 ……

中島信行が亡くなってから、125年と240日が経過しました。(45896日)