ベルナルト・ボルツァーノBernard Placidus Johann Nepomuk Bolzano
哲学者、数学者[チェコ]
1848年 12月18日 死去享年68歳
ベルナルト・プラシドゥス・ヨハン・ネポムク・ボルツァーノ(Bernard Placidus Johann Nepomuk Bolzano, 1781年10月5日 - 1848年12月18日)は、チェコの哲学者、数学者、論理学者、宗教学者。
ライプニッツの哲学に影響を受け、反カント哲学の立場から、客観主義的な論理学や哲学を打ち立てた。
その成果は、フランツ・ブレンターノやエトムント・フッサールらに影響を与えた。
父がイタリア人、母はドイツ語話者。
ドイツ語圏ではベルンハルト・ボルツァーノとも呼ばれている。
生涯=
チェコのプラハの生まれ。
両親は商人階層で、ともに敬虔なカトリック信者。
父親Bernard Pompeius Bolzanoはイタリア出身の商人で、プラハに移住し、その地の商人の娘で、ドイツ語を話すMaria Cecelia Maurerと結婚した。
プラハ大学でカトリック神学、数学、形而上学、物理学を学び、ライプニッツやクリスティアン・ヴォルフらの哲学に興味を持つ。
その後、カント研究にも勤しむ。
1804年に論文『初等幾何学の2、3の対象に対する考察』(Betrachtungen über einige Gegenstände der Elementargeometrie)で学位取得。
この頃からカントの物自体の概念についての考察をするようになり、反カント的な立場を明確に表すようになる。
1805年からプラハ大学で宗教学の講義を担当。
しかし、やがてその講義内容が当時チェコで禁じられていた啓蒙主義的な内容で宮廷から危険視されるようになった。
1820年、ついに、チェコ独立運動への加担を理由 ……
ベルナルト・ボルツァーノが亡くなってから、175年と329日が経過しました。(64248日)