シャルル・メシエCharles Mesier
天文学者[フランス]
1817年 4月12日 死去享年88歳
シャルル・メシエ(Charles Messier 、1730年6月26日 - 1817年4月12日)は、フランスの天文学者。
星雲・星団・銀河に番号を振り、『メシエカタログ』を作った。
生涯=
ロレーヌのバドンヴィレに生まれる。
11歳の頃に父を亡くした。
パリのフランス海軍天文台で、1751年から天文官ジョゼフ=ニコラ・ドリルの助手として働き、航海天文台の事務員となって彗星の発見に没頭。
1758年冬から、過去の観測から出現が予報されていたハレー彗星の捜索を始め、翌1759年1月21日に発見、ドリル天文官から表彰を受ける。
しかし、それはヨハン・ゲオルク・パリッチュによる発見(1758年12月25日)の1か月後だった。
マスコミが未発達のこの時代、1か月遅れの独立発見は仕方がないことではあるが、パリッチュがヨーロッパ中に一躍名を知られるのと対照的に、この発見によっていわれのない誹謗中傷を受けたことからその名を知られることとなる。
しかし、この出来事の屈辱をばねとして、彼はより一層彗星探索に没頭するようになっていった。
1760年、ドリルの退官に伴い天文官に就任。
彗星発見者としての名声は高まっていき、1764年ロンドン王立協会の外国人会員となる。
このころ彗星の捜索の際、彗星と紛らわしい天体が多いことに閉口したメシエは、1764年初めからこうした天体のリストを作り始めた。
そして、同年末、18個の自ら発見した天体にそれまで知られていたものを加えた40個 (M1-M40) の天体リス ……
シャルル・メシエが亡くなってから、207年と222日が経過しました。(75829日)