加藤卓男 氏(かとうたくお)
陶芸家[日本]
2005年 1月11日 死去享年89歳
加藤 卓男(かとう たくお、1917年(大正6年)9月12日 - 2005年(平成17年)1月11日)は、陶芸家。
ラスター彩、青釉、奈良三彩、ペルシア色絵、正倉院三彩などを再現。
岐阜県名誉市民、多治見市名誉市民。
略歴=
1917年(大正6年)岐阜県多治見市に生まれる。
父加藤幸兵衛に師事。
後年になって卓男は、叔父の加藤基一とその友人で古陶好きの多治見工業学校英語教諭、高木康一が「日曜のたびに私を連れて窯跡を掘りに出かけた」と少年の日の思い出を記している。
1935年(昭和10年)岐阜県多治見工業学校(岐阜県立多治見工業高等学校)卒業。
1938年(昭和13年)陸軍に入隊。
幹部候補生として千葉市の陸軍無線学校に入学。
1940年(昭和15年)北支に転属し少尉に任官、北京の教育隊に勤務する。
1943年(昭和18年)400人の兵隊を引率して広島市にある大本営第二通信隊に転属、無線通信の中隊長として活躍。
1945年(昭和20年)8月6日広島市に原子爆弾が投下されたが、米子市へ出張するために乗車した国鉄芸備線の車中にいたために難を逃れた。
その後、爆死者の死体収容にあたり被爆。
白血病を発症し約10年間、闘病生活を送る。
1956年(昭和31年)緑釉花瓶が日展に初入選。
1961年(昭和36年)フィンランド政府の招聘により、意匠と技術の交換のため留学。
フィンランド工芸美術学校修了。
帰途イランに立ち寄り、「昔の面影を残すペルシャ風土と、興亡の歴史の中に生まれ ……
加藤卓男さんが亡くなってから、19年と314日が経ちました。(7254日)