長野祐也 氏(ながのすけなり)
元政治家[日本]
(元自民党衆議院議員)
2018年 6月25日 死去膵臓がん享年80歳
長野 祐也(ながの すけなり、1939年6月27日 - 2018年6月25日)は、日本の政治家・政治評論家。
鹿児島県議会議員、衆議院議員(3期)。
来歴・人物=
鹿児島玉龍高等学校第9回卒、同級生には元厚生労働大臣の尾辻秀久がいる。
高校時代は弁論部で活動し、1957年10月に広島大学主催の全国高校弁論大会に出場、演題「高校生の使命に思う」で優勝。
1963年、中央大学法学部政治学科卒業。
田中茂穂参議院議員秘書や鹿児島県議会議員、新自由クラブ鹿児島県連代表を経て、1980年第36回衆議院議員総選挙で自由民主党公認・中曽根派所属の新人候補として初当選、以降3期連続で務める。
1982年のヴェルサイユサミットに自民党の機関紙・自由新報特派員として参加。
1987年に、竹下内閣で厚生政務次官に就任した。
1990年、第1次海部内閣の自治政務次官として迎えた第39回衆議院議員総選挙で落選。
1992年に鹿児島1区が奄美群島選挙区と合区されたため、次期衆院選へは立候補しないことを決め、奄美群島区から参入する自身と同い年で同じ中大法学部出身の現職保岡興治の支援を表明した。
1993年、前言を撤回し、結党間もない新生党公認で第40回衆議院議員総選挙に立候補したが落選(保岡は当選)。
1995年の第17回参議院議員通常選挙では鹿児島県選挙区から新進党公認で立候補したが落選。
これを最後に選挙には立候補していない。
その後、政治評論家、川崎医療福祉大学客員教授となる。
2000年 ……
長野祐也さんが亡くなってから、6年と149日が経ちました。(2341日)