伊佐千尋 氏(いさちひろ)
ノンフィクション作家[日本]
2018年 2月3日 死去前立腺がん享年90歳
伊佐 千尋(いさ ちひろ、1929年6月27日 - 2018年2月3日[1])は、日本のノンフィクション作家。
実父はアメリカ合衆国で活動した画家・絵本作家の八島太郎。
俳優マコ岩松は異母弟、女優八島桃(本名:岩松桃子[2])は異母妹。
来歴=
現在の東京都に生まれる。
母の伊佐正子(旧姓:仁科)は、山梨県甲府市の士族の家系に生まれ、実家は資産家だった[3]。
1928年夏頃に、当時「岩松淳」を名乗っていた八島太郎が東京から甲府を訪れた際に出会い、後を追う形で上京、父の持ち家に住みながら交際した[3]。
しかし、翌年4月の四・一六事件の際に、プロレタリア芸術運動にかかわっていた太郎の家が捜索を受けて正子も拘留される[3][4]。
そのあと正子は太郎と別れる[3][4]。
その経緯について八島太郎は警察に検挙されたりするのが気の毒だったからと後年述べ、千尋は正子の父が別れさせたと宇佐美承に話したという[4]。
千尋が出生したのはそのあとだった[3][4]。
一方太郎は正子と別れた後に八島光と結婚、運動を続けたが逮捕、釈放という経歴をたどり、1939年に光とともに渡米した[5]。
その後正子は、沖縄県出身で東京医学専門学校(現:東京医科大学)を卒業した病理学者の伊佐善雄と結婚する[6][4]。
善雄は千尋が小学3年生の時に富山県の要請を受けてイタイイタイ病の研究のため一家とともに移住、富山県立診療所長も務め、県内で6回も転任して千尋も転校を重ねたという[6]。
小学4年生の3学 ……
伊佐千尋さんが亡くなってから、7年と148日が経ちました。(2705日)