はせさん治 氏(はせさんじ)
声優、俳優[日本]
2002年 3月8日 死去肺がん享年67歳
はせ さん治(はせ さんじ、1936年1月2日 - 2002年3月8日)は、日本の声優、俳優。
東京府東京市淀橋区(現:東京都新宿区)出身。
来歴
生い立ち
1936年、東京市立大久保病院(現:東京都立大久保病院)で誕生。
戦時中は小学3年生の時に静岡県田方郡伊東町(現:静岡県伊東市)に集団疎開したが、その後東京に帰郷した。
終戦後、児童劇団「青い鳥」に入団したが、理由は劇団の稽古場に行けば芋が貰えたからであった。
中学・高校時代は演劇部に所属していた。
中学時代は貧乏であり、卒業式を待たずに丁稚奉公に出されて東京神田の紙問屋に働いていた。
夜は東京都立工芸高等学校印刷科に通って印刷技術の習得をしていた。
吉本興業が東京で始めていた新人タレントの募集に応募し、3千人の応募者の中からトップの成績で合格し、夜学に通いながら昼は吉本興業のレッスン場に通っていた。
「これからの役者は、歌って踊れなくてはダメだ」と考えてレッスンのかたわら、16歳の時にクラシックバレエを習う。
キャリア
1954年、18歳の時に吉本ラジオセンターに所属し、スタジオで文化放送の下請けをとってから文化放送の『連続歌謡物語』などに出演できるようになり、プロの世界へと足を踏み入れる。
高校卒業後、「さらに幅広い芸を身につけたい」と思い、東宝芸能学校2期として入学。
同校の先輩に藤村俊二がいる。
ここでは毎日8時間、演劇、歌唱、クラシックバレエからモ ……
はせさん治さんが亡くなってから、22年と258日が経ちました。(8294日)