藤井達吉(ふじいたつきち)
工芸家、美術家[日本]
1964年 8月27日 死去享年84歳
藤井 達吉(ふじい たつきち、1881年6月6日 - 1964年8月27日)は、愛知県碧海郡棚尾村字源氏(現・碧南市源氏町)出身の工芸家・図案家。
経歴=
青年期=
藤井達吉の生家跡
1881年(明治14年)6月6日、愛知県碧海郡棚尾村字源氏(現・碧南市源氏町)に生まれた。
父親は忠三郎、母親はかぎ。
兄が2人、姉が1人、妹が2人いる。
母親のかぎは西加茂郡挙母村(現・豊田市)出身である。
藤井は幼少の頃から手先が器用であり、「針吉」や「凧吉」などとも呼ばれていた。
1888年(明治21年)に棚尾学校(現・碧南市立棚尾小学校)に入学し、さらには医師の杉村修平の塾で学んだ。
11歳だった1892年(明治25年)に棚尾小学校を卒業し、知多郡大野町(現・常滑市)の木綿問屋である尾白株式会社(尾白商会)に奉公に入った。
1895年(明治28年)には朝鮮に渡って元山支店に勤務。
1897年(明治30年)に尾白株式会社を退社すると、台湾に渡って兄の安二郎の雑貨商を手伝った。
台湾からの帰国後には美術学校への進学を希望したが父親に許されなかったため、1898年(明治31年)には名古屋市の服部七宝店に入社。
1903年(明治36年)には第5回内国勧業博覧会のために大阪市を訪れ、奈良市に立ち寄ってはじめて古美術に触れた。
1904年(明治37年)にはアメリカ合衆国に渡り、オレゴン州ポートランドで開催されたルイス・クラーク100周年記念万国博覧会に七宝作品を出品。
1905年(明治38年)にはボストン美 ……
藤井達吉が亡くなってから、60年と86日が経過しました。(22001日)