フルヘンシオ・バティスタFulgencio Batista y Zaldivar
政治家、元大統領[キューバ]
1973年 8月6日 死去享年73歳
フルヘンシオ・バティスタ・イ・サルディバル(Fulgencio Batista y Zaldivar, 1901年1月16日 - 1973年8月6日)は、キューバの軍人、政治家。
大統領(1940年 - 1944年、1952年 - 1959年)。
親米政権を樹立したのち独裁を敷いたが、キューバ革命によって失脚し、国外へ亡命した。
来歴=
生い立ち=
1901年、米西戦争の結果アメリカの軍政下に置かれていたキューバのバネス(en)に生まれる。
ムラート、中国、先住民族の出自とみられる。
バネスの高校を卒業後、1921年にキューバ軍に加わる。
軍歴=
バティスタ軍曹は1933年の「軍曹の反乱」をリードした。
バティスタのクーデターは臨時政府を倒し、ラモン・グラウ・サンマルティンが1933年9月10日大統領に就任した。
バティスタは入閣を要請されたがそれを固辞し軍参謀総長になった。
グラウは翌年の1月16日に辞任し、1月17日にマヌエル・マルゲス・スターリング・イ・ギラルが大統領に就任するが、1月19日にカルロス・メンディエタ・モンテフールが臨時大統領に就任。
メンディエタは1935年12月11日に退陣し、ホセ・バルネ・イ・ビネヘラスが臨時大統領となる。
入閣=
翌1936年5月20日にミゲル・マリアノ・ゴメス・アリアスが大統領に就任、同内閣でバティスタは国防相兼軍総司令官に就任し、政権の実権を握った。
バティスタの横暴にゴメスは拒否権を発動したが、逆にバティスタによる議会動員で罷免され、フェルデシオ・ラレード・ブル副大統領が大統 ……
フルヘンシオ・バティスタが亡くなってから、51年と123日が経過しました。(18751日)