平松守彦 氏(ひらまつもりひこ)
前大分県知事[日本]
(「一村一品運動」提唱)
2016年 8月21日 死去享年93歳
平松 守彦(ひらまつ もりひこ、1924年〈大正13年〉3月12日 - 2016年〈平成28年〉8月21日)は、日本の通産官僚、大分県知事。
「一村一品運動」の提唱者として有名である。
その他、関西大学政策創造学部客員教授や立命館アジア太平洋大学 アドバイサリー・コミッティ名誉委員などを務めた。
座右の銘は「継続は力なり」。
マグサイサイ賞受賞者。
経歴=
大分市出身。
大分中学、第五高等学校を卒業。
短期現役海軍主計科士官(12期)を志願。
1944年(昭和19年)9月、海軍経理学校に入学し1945年に卒業。
同年6月、海軍主計少尉に任官して終戦を迎え、その後、解員(復員)した。
1949年(昭和24年)3月、東京大学法学部を卒業後、1949年(昭和24年)旧商工省(後の通商産業省、現・経済産業省)に入省。
同期には次官となった藤原一郎、労相を歴任した牧野隆守、村上信二郎(衆議院議員)、大薗英夫(元日本自転車振興会理事長)、間淵直三(元東京工業品取引所理事長、元防衛庁装備局長)、井川博(元経済企画事務次官)など。
在官中は佐橋滋の強い影響の下、政府指導の下での国内調整的な産業政策を重視するいわゆる通産省統制派といわれる官僚として活躍した。
1957年4月、通産省企業局産業施設課長補佐(工業立地担当事務官)時代には、大分県に出張した際に木下郁県知事にのちの大分臨海工業地帯となる臨海工業地帯構想を進言した。
1959年5月、日本にコンピュータ業界が無か ……
平松守彦さんが亡くなってから、9年と57日が経ちました。(3344日)