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後藤次男 氏(ごとうつぐお)

プロ野球選手、監督[日本]

2016年 5月30日 死去老衰享年93歳

後藤次男 - ウィキペディアより引用

後藤 次男(ごとう つぐお、1924年1月15日 - 2016年5月30日)は、熊本県熊本市出身のプロ野球選手(内野手、外野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。
愛称は「クマさん」。
来歴・人物= 大阪タイガース入団まで= 熊本県立工業学校在学中の1939年、二塁手として春夏連続で甲子園に出場。
1941年には主将兼捕手として春の選抜に出場し、ベスト4まで勝ち進んだ。
卒業後は熊本鉄道管理局を経て法政大学に進学し、東京六大学リーグでは4番打者として活躍。
リーグ通算32試合出場、121打数30安打、打率.248。
現役選手として= 大学卒業後は尊敬する熊本工の先輩川上哲治がいる巨人に行きたかったが、オール法大チームの試合で大阪タイガース監督の若林忠志とバッテリーを組み、気に入られる。
若林が正捕手の土井垣武と合わなかったこともあり、大学卒業後の1948年に大阪タイガースへ入団。
契約金は12万円で、当時では破格の金額であった。
ルーキーながら二塁手や外野手として全試合に出場し、同年に記録した129安打は新人での球団史上最多安打であった。
2年目の1949年からは4年連続で3割を超える打率をマークし、主にダイナマイト打線の3番打者として活躍。
守備では投手と遊撃手以外の7ポジションを経験しており、藤村富美男の8ポジションに次いで多く、ユーティリティプレイヤーの先駆者的存在であった。
本当は中学時代にやっていた「捕手で生涯を全うしたかった」らしいが、夢は叶 ……

後藤次男さんが亡くなってから、8年と175日が経ちました。(3097日)