森恒夫(もりつねお)
連合赤軍中央委員会委員長[日本]
1973年 1月1日 死去自殺享年30歳
森 恒夫(もり つねお、1944年〈昭和19年〉12月6日 - 1973年〈昭和48年〉1月1日)は、日本のテロリスト。
新左翼活動家。
連合赤軍中央委員会委員長。
経歴=
大阪市電気局(後に大阪市交通局)に勤務していた父親のもと、大阪市大淀区(現・北区)長柄中に生まれる。
長柄中には電気局(交通局)の公舎があった。
中学・高校の同窓生の回想では、その時期には公舎は鉄筋コンクリート5階建の団地のような建物だったという。
兄2人、妹1人の4人きょうだいだった。
連合赤軍幹部時代に「共同軍事訓練」後に経歴を披露した際、小学生の時に在日朝鮮人の友人がいて民族差別に接したことを話したとされる。
大阪市立豊崎中学校から大阪府立北野高等学校に進学した。
高校時代は剣道部に所属し、2年生の秋には主将となった。
ただし同窓生によると、当時の森は真面目に練習はするものの、決してリーダーシップを発揮するタイプではなく、主将への就任も有力視された同学年の部員が、自分が主将となることを回避するために森を推薦したと後に記している。
別の背景として、他の部員と積極的にかかわろうとせず孤立しがちだった当時の森を活動に引き入れる方策だったともされる。
当時の教員が「普通の真面目な子」と語ったインタビューや、「どちらかというとひ弱な文学青年に近いんじゃないかな」という中高の同窓生による証言がある。
1963年に大阪市立大学文学部中国語学科に進学 ……
森恒夫が亡くなってから、51年と317日が経過しました。(18945日)